行ってらっしゃい2022
2022年もうすぐ終わり。早すぎるよ。
今年はどんな年だったか
今年は世間でもアフターコロナが浸透した年かなと思いました。
去年の振り返りでも書いてるのですが、私としては昨年の末からもうアフターコロナに入ったという気持ちだったので、みんな同じわだかまりを感じてた&失われた3年間を取り戻すというのがテーマだったと思います。
そんな私は1月〜3月まで炎上案件に入れられて、かつ本来業務も回すという事でシンドイ時期になりました。また4月にネットワークスペシャリスト試験を受けたりして、今年前半は本当に忙しかったです。
おかげで上記について部内表彰されたり、ネットワークスペシャリスト試験も合格したり。ちゃんと評価された事はよかったです。
ネスペ受かった! pic.twitter.com/HEdlrlBKSN
— kamera25@CSC (@csc_kamera25) 2022年6月24日
あと今年は広島フロントエンド勉強会やオープンセミナー広島の配信手伝いしたり、9月はオープンソースカンファレンスの配信手伝ったり、何かと映像配信業が多い年でした。
背景としてはコロナが落ち着いて現地開催の勉強会が増えた、というのがあると思います。
今日のOSC広島の風景 #osc22hi pic.twitter.com/I2KBqtFXVD
— kamera25@CSC (@csc_kamera25) 2022年10月1日
あと高松、愛媛、岡山、富山に行ってきました。
特に富山は弾丸黒部峡谷旅行を決行し、広島から合計11時間電車に乗りっぱなしに耐え、欅平駅まで行ってきました。尻が割れる夢がみれそうでした。
黒部峡谷凄すぎぃ… pic.twitter.com/Tln4EI0oUG
— kamera25@CSC (@csc_kamera25) 2022年11月26日
死ぬ事と伝える事
今年遂に30歳になりました。
30になる前はただ歳が一つインクリメントされるぐらい、にしか思ってませんでしたが、なってみると全然違いました。一言で言うと「私、死ぬのかなぁ」から、「あぁ、私死ぬんだなぁ」に気持ちが変化。
考えてみると平安時代の寿命が30歳ぐらいだったらしいので、人間が真の意味で健康でいられる期間は過ぎているのではないか、と思うようになりました。
※もちろん現代は医療発達で、病気になっても長期にわたる延命はできるのですが。
また運動している時も身体と頭の動きが不一致となり、軽く怪我しかける場面もあり。静かな衰えを感じます。
メンタル的にも、何やってるんだろ…みたいに答えが出ない事を考える時間が増えたり。その時間を趣味とかに使えば良いのでしょうけどね。
アフターコロナと言いつつ、結局「死」と対峙する瞬間がコロナきっかけで多い感じがします。また某国との戦争もそういう事を思い出す引き金になっていると感じます。
あと今年は次世代に何を伝えるか?的なコンテンツに触れる事が多かったです。自分より格下だったと思っていたコンテンツのキャラ(2次元)が成長し、顔面から殴られ、「お前も次世代のために頑張れよ」と言われたり。泣いた。
でも良く良く考えるとそうで、今の生活も先人たちが努力してもぎ取ったもので、当たり前に存在していない、という事を考えるきっかけにもなりました。
今、仕事や趣味でやっている事も「次世代に何を残せるか」というのをとても考えます。思えば中学生の頃に遊んでたメタルギアソリッドに「何のミーム(意味/意志)を残すか」って言われてたんですよね。
買ってよかったもの
Pixel 5a
4月のセールでPixel 4aの下取りを出して、2万円で購入しました。その後の円安とか考えると良いタイミングで買えたと思います。
初5Gスマホということで今契約している 5G対応のMVNO回線の契約変更したりしましたが、そんなに劇的に変わるわけでもなく。使い勝手もそんなに変わらず、ロマンは無いけど道具としては良い機械です。
Shokz OpenMove
骨伝導イアホン。これは本当に買ってよかったです。
私は普段音楽聞かないのですがテレビ会議は時々します。また持病で中耳炎持ちなので、耳が蒸れると再発しやすくなるので、カナル式やAirPodsとかは使いたく無い…
そんな中、友達からのおすすめで買ったのがこれ。骨伝導としては音質も良く、デザインもカッコいい。会社と家に持っていって、テレビ会議やオンラインゲームジャムで多用しました。
あとメタルギアファンからすると、骨伝導で話す機械に憧れがありましたね。
これ以外にiPad Pro 11.9(第三世代) やNreal Air買ったりしました。前者は鉄板ですね。後者のNreal Airは私用では使わない製品かな…と思いますが、副業の開発プロジェクトで利用したりしてます。来年お披露目できるかもしれません。
2021年にできたこと と 2022年にやりたい事
色々やって、色々できるようになってきた。がんばれ私。
Kubernetes, Ansible
Ansibleは会社の試験プロジェクトに導入できるかも?という状況になってきました。Kindleで技術書をさらに読み込んで導入できるようにしたいです。
Kubarnetesは使う見込みがなさそうですが、来年こそは何か挑戦できたら良いですね。
色々勉強したおかげで、不自由なく使えるようになりました。オープンセミナーのロゴ作ったりする時に利用したりしました。
ただ少し飽きてきているので、何か新しい事に挑戦したいですね。ジオメトリノードとかももっと使いこなしたい。
最後に
色々書いてみたけど、やっぱりなんかフワフワとした感じがします。大きな目標もなく、毎日時間が過ぎていくのを見ているような感覚。そして遠くにいるけど、確実に近づいてくる死。
生きるってなんだろうね。Webの記事を見ても表層しかわからず、哲学書見ても私のレベルでは理解が追いつけない。
でも延々答えを探しつつ、答えが見つからなくても、何か色々残せたら良いな。もちろん体が弱いので「いのちだいじに」。
行ってらっしゃい2022年、よろしくね2023年。
すずめの戸締まり - 新海誠監督と宮崎駿監督 の闘いの物語 [ネタバレ有り]
昨日、映画「すずめの戸締まり」を見てきました。
インディーアニメからのし上がった、新海誠監督のメジャー作品の3本目になります。
見終わった瞬間、すげー!滅茶苦茶ことやってる。と身震いしながら思ったのですが、同時にエンタメ作品としては面白いか?観客に伝わってるか?という点で疑問が残る作品でした。
岩戸鈴芽(すずめ)と宗像宗田(そうた)って何?地震って何?ダイジンって何?
観客の多くはそんな謎が多くありつつ、正体がよく分からない巨大な敵と闘う話として楽しめられた方、またツマラナカッタ方も多く居るのではないかな、と思いました。
今回はこの作品が本当に伝えたかったことは何だろう?という点について、独断と偏見による感想文を書いてみたいと思います。
※なお、以下の文章は読みやすいように断言口調で書いてます。ただ私が個人的にそう思ってるだけなので、これを鵜呑みにしないでください。
また話したい内容から、どうしてもネタバレ有りになってしまうので、必ず先に劇場で見てください(あと、なるべくIMAXで見てあげてください。新海作品の映像美は、どれも最高です。)。
- 新海震災三部作 - 君の名は と 天気の子 と すずめの戸締まり
- すずめの戸締まりはどう生まれたのか
- ダイジン = 宮崎駿監督
- 気づいて欲しいから散りばめる
- 宮崎から抜ける
- 常世と要石
- 要石になること
- なぜ戸締まりをしないといけないか
- 火垂るの墓 と 東日本大震災
- とりあえず劇場に見に行ってくれ
新海震災三部作 - 君の名は と 天気の子 と すずめの戸締まり
新海監督の作品といえば、ボーイミーツガールを素晴らしい表現力で描くことです。これは新海監督作品の一貫した点で下に挙げる作品以前(声の庭、秒速5センチメートルなど)、以後でも普遍的に変わりません。
新海誠監督作品で多くの人が知っているのは、君の名は でしょう。この映画は2016年に公開され、新海監督の知名度を大きく上げた作品となりました。
君の名は 公開当初は新海監督のファンの人がメイン層で、俗にいうアニオタ層が多く見ていたのでは。その後にロングテールで波があり、非常に多くの人に感動系2010年代東京ラブストーリーとして認知されていきました。
が、この 君の名は のテーマは「東日本大震災震災にどう向き合うか」でした。震災から5年、大地震を作中では隕石という比喩表現にすることで、大切な人を失った日本人全員に問いかけている作品でした。
次作は2019年に公開された、天気の子です。
天気の子は大雨に見舞われる東京に住む、晴れ女(陽菜)と田舎から出てきた男子(帆高)が出会い、そこで数奇な体験をするというストーリーです。
こちらはテーマとしては、東日本大震災というより将来的に起こる関東大震災を大雨という比喩表現にしています。そしてそうなっても、また人々は普段と変わらない生活を過ごすのだ、と読み取ることができます。
が、天気の子には作家性が強い意味が含まれています。それは新海監督自体が「自分のエゴで他の多くの人を傷つけたとしても、自分が作りたい作品を作るんだ」という点です。
作中、主人公である帆高は東京(=世界)と陽菜のどちらを取るのか、という選択肢に悩まされます。そこで帆高は陽菜を取るのですが、その後に次のセリフを言います。
もう2度と、晴れなくたっていい。青空よりも、俺は陽菜がいい。天気なんて、狂ったままでいいんだ!
この意味は新海監督の非常に強いメッセージで、自分のエゴイズム(=恰好やフェチなど)を優先したとしても、大好きなもの(作品)を作るんだ、それで世界や他人が狂っても。という強い意志が含まれています。
それまで無名(注意 : オタク業界では有名だった)だった新海監督。君の名は で世界に震撼を与え、影響力を持った時にどのように捉えれば良いか、という示唆が入っています。
同じくそれまで影の下のクリエイター。ただ数奇な運命でひょんなことから、世界を変えてしまった監督がいます。そうエヴァンゲリオンの庵野監督です。
庵野監督はエヴァンゲリオンで一躍ブーム(=世界を変えて)しまい、「オタクなんて●んでしまえ!」「もっと現実を見ろ!」と現実と作品の中で苦しむようになりました。
結果として同じく東日本大震災をテーマにした作品「シンゴジラ」を作り出し、冒頭に以下の文章を作中人物の遺言とし、今後の作品づくりの表明をおこないます。
私は好きにした、君らも好きにしろ
これをトリガーとしてシンエヴァ、シンウルトラマンやシン仮面ライダーのように、庵野監督自身が好きなものを作る事を開始したわけです。
そういう点で新海監督と庵野監督は、同じ震災をテーマにした作品の中で似た表明を行なっています。しかしながら、天気の子では加えて「他人に迷惑をかけてでも、自分の好きなものを作る」という点が加えられているのです。
長くなりましたが、3作品目のすずめの戸締まりではどのようなテーマを語っていたのでしょうか。これも前の2作品を踏まえた上での作品となります。
後世、これらの作品群は新海震災三部作と呼ばれるようになると思います。いずれも東関東大震災に向き合い、そして監督自身の所信表明を組み込んだ作品群です。
すずめの戸締まりはどう生まれたのか
今回の作品は東日本大震災より世界を変えてしまったコロナ禍という災害、もとより天気の子で表明した自身のエゴイズムの肯定から何を見せてくれるのか、とても大変だったのではないか、と感じるのです。
この2ヶ月ほど新作映画の脚本を書き続けているんですが、いまなにを考えれば良いのか、なにを語ればよいのか、数年後に僕たちはなにを観たいのか、日々わからなくなります。それでもとにかく書くのですけれど。 pic.twitter.com/NgIuxC74qc
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2020年3月31日
まずストーリの大きなテーマとしては、真に東日本大震災と対峙すること、向き合うことを選んだというところです。
これまで監督作品では比喩表現として東日本大震災を隕石が落ちる、大雨が降るを用いていました。物語として成立させるため、かつ日本人が傷ついたこの震災に対して目を向けさせるためにこのような表現にせざる終えなかったのではないでしょうか。
今作の主人公の鈴芽は過去に東日本大震災に被災して親を亡くし、九州で育てられているというバックグラウンドがあります。
それまで秒速5センチメートルから天気の子まで、東京をファンタジー化し、東京で生きるというストーリーづくりから大きな転換であることは間違いが無いのです。
次に大いなる父を倒すというテーマです。大いなる父とは誰のことでしょうか?はい、あのスタジオジブリの宮崎駿監督ですね。
宮崎駿監督といえば、知らない人はいないジブリのアニメーターであり監督です。そして日本のアニメーションを支え、ボーイミーツガールアニメ映画監督の重鎮です。
ボーイアンドミーツ作品だけ上げても沢山あります。未来少年コナン、ルパン三世 カリオストロの城、ナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、耳をすませば(これは、厳密には脚本)、ハウル…など。
『ハウルの動く城』と同じ公開日だったことをよく覚えています。今はなき渋谷シネマライズでの初日挨拶で、「この観客の皆さんはハウルじゃなくてこちらを観に来てくれたのか」と感動したものでした。後日、札幌での舞台挨拶の合間に自分でもハウルを観にいって、凄まじさに圧倒されたのですけれど笑。 https://t.co/G5A7iF1icL
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2021年11月20日
ボーイミーツガールアニメ映画の父、宮崎駿監督を超えなければならない。すずめの戸締まりではその解として、あろうことか宮崎駿監督を映画に引っ張り出し、新海誠監督が闘う話として成立させたのです。
ダイジン = 宮崎駿監督
ここまでで映画を見た方はお気づきでしょうか?そうこの映画は「ダイジンを宮崎駿」として構図で描かれているのです。
そしてダイジン(宮崎駿監督)を追いかける、鈴芽と宗田を新海誠監督として描く構図となっているのです。もちろん追いかけるというのは宮崎監督自身に追いつく(ボーイミーツガールもといアニメ映画業界の重鎮として)という比喩表現であるのです。
すずめは好き。お前は嫌い。
劇場のはじめ、ショッキングな一言ですがこれも「新海、おれはお前のことが好きでもあるし、(クリエイターとして)嫌いだよ」という、宮崎駿監督が思っているであろう気持ちを代弁させます。
上記の捉え方をすると、このすずめの戸締まりはとてもシンプルな話となるのですが…エンタメとして面白いか、というとそこは難しい評価になると思います。
※なお宮崎駿監督作品で猫といえば魔女の宅急便ですが、ご本人は豚として自画像を描かれることが多いですね(紅の豚も宮崎監督がモデルとのこと)。なのでプロット書く際に、ダイジンを豚にすることも考えたのではないでしょうか。
なお旧エヴァではシンジ=庵野監督、ゲンドウ=宮崎駿監督として描かれていた説もあるので、実は滅茶苦茶やってること同じなんですよね。
気づいて欲しいから散りばめる
多くの人はこの映画を見て、「ジブリっぽい何か」だと思うはずです。まぁそうですよね、そういう風にオマージュ演出しまくってます。
鈴芽と宗田は、ハウルの動く城だし
最初行った廃墟は温泉街、千と千尋だし
ミミズの光った線の描写は、風の谷のナウシカ
ルミと着物を着てお風呂掃除する、これも千と千尋だし
ルミと女の子同士とたわいもない話をする、魔女の宅急便だなぁ
靴を片方落とす、となりのトトロ だな
バーで働く良い女?紅の豚 ぽい
ルージュの伝言流しながら移動する、魔女の宅急便 じゃん
二人で自転車を漕ぎながら恋について語ったりする、耳をすませば ですよね
特に運転しながらルージュの伝言を聞いているシーンには、流石に笑ってしまいました。いやいや分かってるから大丈夫よ、気づいてるよ。と
もちろん今回の敵はダイジンなので、もちろん宮崎駿作品のオマージュも出てきます。東京の地下はルパン三世カリオストロの城の地下潜入シーンですし。
ダイジンが鈴芽と入水する時もカリオストロの城でルパンがクラリスを庇って入水する所と混ぜたり。あと後者は平成たぬきぽんぽこも混ぜて、表現してあるのかなぁとも思ったりしました。
多分他にも宮崎作品のオマージュがたくさんあるはず(すみません、勉強不足)…
宮崎から抜ける
あとは物語の開始位置は宮崎県でしたね。はいこれも、"宮崎"監督だからですね。
宮崎県のお住まいの方には大変ごめんなさいなのですが、今回の舞台は"場所として"宮崎である必要は全くなかったとは思います。地方名も架空の町ですし。
※おそらくジブリから崖の上のポニョぽい場所を選んだのかなと。
※SNSでも宮崎弁が下手だった、という意見があるけどそれもこだわりがないから、じゃないかな…
ただ、オープニングの文字が出た後に「宮崎放送」というヘリが出てるシーンがありましたが、個人的にはゾクっときました。「これからお前(新海)、何をやってくれるのか上から見てるぞ」という意図で構図が描かれてるのでは、と思います。
後、有名な宮崎監督一派をもじった表現がありましたね。そうミミズが倒れるシーンです。あれも新海監督があまりやってなかった演出で、エヴァの使徒の消滅シーンのような描かれ方でした。
そう、先ほど話した庵野監督ですね。もともとジブリでナウシカの巨神兵などを描いていたので、宮崎駿監督とも縁が深いわけです。そして庵野監督が風立ちぬで演じた二郎は、東京首都直下地震に見まわれますよね。あれ、この話どこかで…
今回のすずめの戸締まりではそういった宮崎駿監督ら、がやったことを追いかける。というのがテーマの一つであるわけです。
常世と要石
これはメインテーマに近い所ですが、この話には常世について何度も語りが行われます。では常世とは何でしょうか。
色々な考えはありますが、常世はアニメーションの比喩ではないかと考えています。現実とは異なる理想を見せる世界、また物語終盤に訪れるリアルより恐ろしい世界、その世界は一枚のドアの向こうにアニメーションという世界に存在している。
※だから鈴芽はドアの向こう素晴らしい常世を見ることができても、その中には自分が入る事はできないわけです。あくまでその世界はアニメーションなので。
宮崎の要石(ダイジン)は昔はアニメーションを支える重鎮だったわけですが、鈴芽(=新海監督)によって千と千尋の神隠しを抜いてしまう(=興行収入として)わけです。それを要石として表現されているのだと思います。
物語中盤に要石は宗田(=新海監督)に代わり、最寄アニメ映画を支える重鎮として支えるわけです。だから東京まで行って、宗田は要石になるのですね。
※ここらへんで、何で神戸から東京まで一直線なんだ…と思ったり。
作中、宗田は神戸の廃墟遊園地でダイジンが「ぼくはもう、要石にはなれない。」と言い、東京では「君が要石になれ」と言われるわけです。宮崎駿監督は「もうアニメーション映画を支えるポジションにはない、新海、君が頑張れ。」という新海監督なりの解釈が作中に入れられているのかな、と思いました。
※もちろん宮崎駿監督が「君たちはどう生きるか」を作られているので、最後そういう風にもう一回要石になってもらうのですが。
※まぁ、ここの表現について色々言いたい人がいるのもわかる。
要石になること
アニメーション映画で重鎮(=要石)になることは自分のフェチや趣向を捨てることになります(万人受けしないといけないからね)。宗田は要石になる決断をし、自分を捨てて東京を支えることにします。
この表現は新海監督が個性を捨てて、アニメーション映画業界を支える気持ちが表されているのでしょう。このことを作中「要石になる(=死)」として表現しているのではないでしょうか。
結果として新海監督は「君の名は」で日本のアニメーション(正確にいうと、アニメーション映画)を救ったことを比喩表現として、このシーンを作っているのではないか、と思うのです。
※もちろん 君の名は で開幕初っ端にTSF入れてきたましたが。いつもに比べるとフェチズムの絶対量は少ないよ、ぐらいの意味合いで捉えてください。
なぜ戸締まりをしないといけないか
前述に紹介したように、常世をアニメーションと定義すると宮崎駿監督が要石であったアニメへの決別として読み取れます。
また新海監督はあまり社会的描写が得意で無いという点も押さえておくべき点だと思います。ボーイミーツガールの重鎮ではありますが、その周りの実物描写については人格がない、無機物的な描写がされることが多いです。
※私の知り合いで新海監督作品の登場人物について、人間性が酷い人しか出ないと言ったり。
今作はそんな中、鈴芽は宗田とだけイチャラブするのでなく、色々な場所で色々な人と触れ合いそして人物描写をより精細に描こうとする取り組みが見えるのです。
だからこそ「この周りに住んでいた人のことを考えて」「お返しします」と言いながら、宮崎駿作品(および精神後継作品)からの決別、宮崎駿作品からもらった影響をお返しし、そしてそれを超えること目標として宣言しているのではないでしょうか。
そして奮い立たせるようにクライマックスに向かいます。
火垂るの墓 と 東日本大震災
クライマックスシーン、火垂るの墓を思い出した方も多いのではないでしょうか。
これまでの新海作品とは全く異なる、ファンタジーでも虚構でない真の意味で現実の震災を悲しくも美麗な映像になったことは、ファンの中で最も異質な体験になったのではないでしょうか。
この映像については言わずもがな、高畑勲監督に近づこうとする気持ちの表れになったのではないか、と考えています。そして高畑勲監督は宮崎駿監督が尊敬し、かつ未だ超えられなかった人の一人です。
高畑勲監督が火垂るの墓でどうにもならない悲惨さを伝えたように、新海監督もすずめの戸締まりで同じ悲しみを伝える挑戦を行なっているのではないでしょうか。
なお火垂るの墓の舞台は神戸市と西宮近郊が舞台の作品。そういえば作中で鈴芽たちはどこに行きましたっけ…?
そして宮崎駿監督作品以外に戸締まり対象となったのが、東日本大震災。これまで新海誠監督は本作含め3作品を大震災と絡めて描いているのだけど、このすずめの戸締まりで震災関連のシリーズは終わりになるのではないか、と思う。
だからこそ新海震災三部作として、今作が最終作品になるのではないかと思う。次回作は全く見たことがない作品になるのではないかと思う。多分次作の構想について、めちゃくちゃ本人悩んでいる気がする。
とりあえず劇場に見に行ってくれ
結論としては、新海誠監督作品「すずめの戸締まり」は新海監督が宮崎駿監督と闘い、東日本大震災を戸締まり(封印)する超スペクタル映画。
なのだけど、ポスト君の名はを望んでいた人が欲しいものだったのか?ないしは、エンタメとして面白いかというと分からない。だから★5をつける人も多いし、★1をつける人もいるのも分かる。
ただ映像から伝わる、溢れんばかりの熱量は凄い。すずめの戸締まりばかりで、RRRどこもやってないじゃないか!RRR見たい!という人も分かる。
そんな人にはこの言葉を送ります、「すずめとRRR、両方行け、そして膀胱を鍛えろ」。
AR FoundationプロジェクトをビルトインRPからURPに変換した時にカメラが映らなくなる問題
最近、AR案件でUnityのAR Foundationを弄っています。
先日プロジェクトをビルトインレンダーパイプラインのAR Foundationプロジェクトを、URP(Universal Render Pipeline)に変更した際に問題が発生しました。
調べたところ、AR FoundationはURPには対応しているものの、手動で UniversalRenderPipelineAsset にAR Background Render Featureを追加してあげないといけないみたいです。
※下の方法では新規でURPAssetを作ってるけど、既存のものがあれば、それに追加してあげてもOK。
というわけで追加してみました。
これで再度、ビルドしたところ無事にカメラ画像が表示されました。めでたしめでたし。
ちなみに今、弄っているアセットはこれです。ARでやりたいことが揃ってて便利。
Unity 2021.3.6f1のAndroidビルドで、gradleのパスが見つからないと言われる
Unity 2021.3.6f1 で Android APKを書き出そうとすると以下のエラーが出ました。
調べてみると、規定値のGradleのパスが間違ってる見たい Unityさんがんばって。
なので、先述の記事にあるように
/Applications/Unity/Hub/Editor/2021.3.6f1/PlaybackEngines/AndroidPlayer/Tools/ フォルダを作成し、/Applications/Unity/Hub/Editor/2021.3.6f1/PlaybackEngines/AndroidPlayer/SDK/cmdline-tools/2.1 の中身をペーストすることで直ります。
これよし。Androidのビルドができるようになりました。
-------------------------
ちなみに「環境設定…」>「外部ツール」>「Android」>「Gradle Installed with Unity(recommended)」のチェックを外して、新しくなったGradleのパスを入れてもエラーになりました。
※参照が全て解決できないらしい、どうして…?
kamera25さんの今日の食卓 #1 胡麻味噌豆乳鍋
自分で美味しいもの作って食べるのって、最高さ!どうもkamera25です。
5月1日(GW3日目)、いかがお過ごしでしょうか。私は明日から暦通りの仕事で全然仕事休んでる間はありません。
ところで話が変わりますが最近お料理教室に行き始めました。というのも、今年の7月移動で一人暮らしをすることが濃厚になりそうな感じで、最低限の自炊とかやらないとなぁ、と思った次第です。
でも料理の画像をSNSに上げるのって、The 男の料理だとインスタ映えないし、恥ずかしいし、飯テロ問題とかで赤の他人に怒られたりするので、こっちのブログに上げることにしました。
豆乳スープは既製品でなく、一から作ってます。
材料としては鶏ガラスープ、味噌、豆乳、炒り胡麻…なのですが、家にあまり食材が無く。豆乳3に対して牛乳1を追加で入れて、かつ炒り胡麻も無かったのでごまだれを少々入れて作りました。
味の調整ミスるとヤバそうですが、今回は奇跡的に美味なスープができました(コストコ先輩で買った鶏がらスープのおかげですね)。鍋なんてスープが美味しければ、素材も美味しんだよぉぅ!
食べた後は米、チーズとブラックペッパーの粗挽きを入れて、チーズリゾットにしました。定番ですがこちらも美味い。
料理を自分で作って食べること、という話を聞くたびに思い出すある話。それは漫画家の永田カビ先生が「味噌汁を作ることで、自分を許す」という話です。
私も自己肯定感がゼロ人間なので滅茶苦茶共感するなぁ、と。料理するって「とりあえず作らないと死ぬ(物理的)ので、作らざえるおえないよね。」「調理工程の空き時間に別の過程を入れることで、時間をマクロで見れる能力が養える」とかもあります。
普通の仕事してる時は自分を幸せにするための時間、ってあまりないんじゃないかな(もちろんお金は嬉しいけど行為の副産物ですし、橘玲先生が俗に言う「やりたいことを仕事にして、生活にも満足している」上級国民でなければ)。
対して料理は自分の労力で自分に対して、最高のおもてなしをする、という考えで掃除とか洗濯とかの家事とは違うなぁ、と思ってます。
さよなら2021年
早い、早すぎる。あっという間に1年経ったなぁ。
今年はどんな年だったか
世間(日本だけに限るが)ではワクチン接種が進み、9月以前がビフォアーコロナ、10月以降がアフターコロナのような雰囲気でしたね。コロナで失った時間を取り戻そう!という。
私はというと特に大きな波もなく、2021年前半は良くも悪くも去年の延長でした。いつコロナに感染するかヒヤヒヤしてましたが、幸い感染しませんでした。そして、
俺は(人)柱になる!
という事でかなり早め(9月上旬)にワクチン接種を完了させました。特段副反応も無く、職場の人からバケモノ扱いされたりしましたね。なおその人は39度まで上がったらしく、3度目は受けないとか豪語してました。
そんなこんなで「ワクチン接種も進んだし、経済回すためのアフターコロナを楽しもう!」という感じの雰囲気だったのですが、私は逆にこの雰囲気に慣れず、体調を壊しがちになりました。
特に飲み会や週末全部遊びに使うとかやると、昔に比べてすぐ身体を壊しやすく(それ老化やろ)。
生きるのって大変
話が飛ぶけど、普通に生きるのって大変だなぁと思う場面が増えました。コロナのおかげで明日死ぬかもしれないですし「生と死」について、これまでより身近で考える機会が増えるトピックになったと思います。
周りだと同期が毎日サービス残業で心と身体を疲弊していたり、ある日突然父が要介護になったり、ブルシットジョブや無理ゲー社会という本を見て、
普通に生きるのって辛いよね。
と思うのですが、私の母や妹とは「考えすぎ」「より良く生きようとすると、大変なのよ」と、あんまりそういう事を感じない人もいるので、変人扱いされるよね。
幸い日本には合法的に中枢麻痺させるコンテンツ(SNSやソシャゲとかね)がたくさんあるので、そういうのを大量服用して生きるのもありなので。死んじゃダメだよ。
そんなこんなで、楽しい時間を最大化できるように頑張りたいなぁと思うようになった。それは自分に対してもそうだし、一緒に遊んでくれる友達に対してももそう思うのです。
更に話が脱線するけど、少し前に世の中すごい人が多くて嫌になる時が多かった(特にSNSとかに多いけど)。対して、自分ってなにやってんねん、何も成し遂げてないじゃん、死にたいと。
でもそのすごい人は私に対して、何かを施してくれる事はないわけで。
お金稼いで今日の夕飯を食べさせてくれるのは私が頑張って働いたから。暖かい所でぬくぬくできるものも、頑張って私が稼いでくれたから。と思い返すと、自分スゲーと思う。感謝する所から意識していきたい。
買ってよかったもの
今年はそんなにオモチャ買ってないな、とふと思った。去年が買いすぎだ。来年はM2 Macや新しいスマホ(Pixel 6a)、iPad Proが欲しいな。
大抵の酒飲みが一家に一台置いている、炭酸水作る機械。最近はトニックウォーターコンクを買って、毎日トニックウォーターを飲んでます。
あと炭酸キツめを作れる(もちろん、炭酸ボトルの残量もその分減るので一長一短ですが)ので、よき。また地元の水が美味しい事もあり、市販の炭酸水より甘味がある感じで、更によき。
2021年にできたこと と 2022年にやりたい事
去年の記事を見ると、Dockerは挑戦してみて趣味プロジェクトで導入して、結構使えるようになったりした。
K8S, Ansible
Dockerに合わせてK8Sも少し勉強してた、がハイパーレガシー系ではまだ使わないですね・・・。Ansibleについては仕事で使いそうな雰囲気があるので、やっていきたいです。
Davinci Resolve, アニメーション
できてない。そもそも何が作りたいか?という根本が抜けている事が問題ですね。
2年前に比べると滅茶苦茶スムーズに使えるようになってると思いますし、オープンソースカンファレンスVRを開催したりできるくらいは上手くなった。
ただ何を作っても成長を感じれないのが辛い、根本的な造形力が無いのを痛感しました。来年は建築や解剖学の勉強を進めていきたい次第。
資格取得
今年は情報処理安全確保支援士(未登録)とAzure Fundametalsを取得できました。5年ぶりの資格取得万歳。これまではネットワークを中心に勉強はしていたのですが、実力不足にゆえ結果が身を結ばずでした。
来年はネットワークスペシャリスト試験とAzure Administratorを取得したいと思ってます。会社の(大黒)柱になれるくらい、こっちも頑張りたいです。
最後に
来年遂に30歳になるわけで節目なのですが、ふと最近何かを成し遂げたいという思いが無くなったな、と思いました。普通に生活できるだけでありがたいなーと。これが大人になるってことなのか。
コロナ禍でみんなが自分の役割を全うしたから、こうやって普通の生活ができていると思うのですよね。来年も普通な年にしたい。そして楽しく。
さようなら2021年、こんにちは2022年。
好きな事で生きていく、好きってなんだ?
2017年6月にうつ病になって4年半ほど経ちました。趣味や仕事で失敗続きで自信が無くなり自己嫌悪、体調悪化などもありました。
幸いなことに家族やコミュニティ、会社の同僚のおかげで仕事に復帰することができました。
- ズレていることに気がつかない
- 好きなことで生きていく。でもそもそも好きなことって何
- ゆとり世代のきっと何者にもなれないおれたち、が頑張るということ
- サカナクションのアイデンティティの良さみ
- 好き"だと思ってる事"はしなくても良いけど、好きな事はやろう
- 私が好きな事
ズレていることに気がつかない
新卒入社した会社は堅気な仕事で安定しており、人も良い方が多い場所でした。ただ、大学の専攻とは全然違う職業に就いた私は、焦っていました。
ゲーム業界に進めなかった私は「私はここにいるべきなのか?」という事をずっと考え込んでいました。それまで好きだった(その時点ではそう思い込んでいた)コンプレックスを抱えてました。
この時期から毎週のようにITコミュニティ(CoderDojoや広島Unity勉強会など)活動をしたり、地域の勉強会に参加したりしました。親からは「あんた、毎週言って疲れないの?」と聞かれるレベルに。あと同期との飲み会でそういう話をするとチヤホヤされて受けが良かったりして、ヒートアップしました。
この文章を見て既にお気づきの人が居ると思います。なんかズレてない?と。一種の認知バイアスみたいなものですね。
その認識のズレは、より大きな溝に拡大します。全力疾走している時に自分の行動に疑念などもちません。好きだった技術の大きな勉強会に2017年5月に参加して、遂に壊れてしましました。
「こんなキラキラした世界で働きたい・・・なんで、なんで」
この後に仕事を沢山失敗しまして、立ち上がれなくなりました。
好きなことで生きていく。でもそもそも好きなことって何
その後はお薬を沢山服用して、沢山お休みをもらって、沢山色々な人と話して仕事に復帰できました。本当にありがとうと言いたい。
そこからたっぷり時間を取って考えて見たのですが、「そんなに私、クリエイティブな事は好きじゃ無い」という事に気づきました。
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少し前Youtubeが「好きなことで、生きていく」というキャッチコピーを出しました。ホ○エモンが「会社や学校が押し付けている事でなく、好きな事を突き詰める事が大切」など。SNSでもエンジニアやCG界隈でも、この意見に一辺倒な様子を受けます。
どんな人にも自分の好きを探すのが、アイデンティティとして大切。のような社会的合意のようです。現代社会は独立していて、名誉があって、お金があって、自分の好きがある(そしてそれで自己確立している)人が人格者として扱われる傾向が見えます。
なので、好きを持ってない人は辛い思いをします。すぐに好きを探す旅へ出ましょう。とりあえず自己啓発、自分探しの旅、色々な交流や勉強会の参加、旅行やコンフォートゾーンから抜け出そう、等。
はい、何を言おうこれを全部やろうとしたのが私です。
これにすっかりハマってしまいました。そして失敗しました。本当にありがとうございました。
ゆとり世代のきっと何者にもなれないおれたち、が頑張るということ
※前段の文章は某ピンクドラムのセリフですね(新作映画おめでとうございます)。
パソコンもそうですが、ハードウェア(肉体)とソフトウェア(精神)以上にできる事をすると、当たり前ですが壊れます。
努力すればなんでも出来る、というのはどこか小さい時に得た思い込みにしかすぎないのではないかと。もしくは多くの人がとっくに何らかの挫折を経験して、そう痛感しているのかもしれませんが。
後に行動遺伝学の本を読んだ時、「あぁこれか」と深く頷くんですけどね。ぜひ関連する書籍を見てみてください。
ゆとり世代の私は幼いころから「夢を持つ事が大切」という教育を何度も何十回も言われ続けてきた世代です。バブル崩壊後に生まれ、失われた30年の中で頑張っても給料は上がらない。という状況で努力をして、「夢を叶えられたら幸せじゃない?」という事を教えられた世代です。
でも現実として全員好きな事をしてしまったら、インフラテクチャや必要なサービスは無くなってしまいます。そうと知っておきながら学校や会社、SNSを通して、もっと夢を持て。と言われ続けるのです。
- 弊社を希望(=好きと)した理由は何でしょうか。
- この仕事をする上でやりたい(=好きとしてみたい)事は?
- 会社の成績を上げるには、自分の興味(=好きな事)とか大切だよ?
- 「成長するには?」「好きな事とか無いの?それすれば。」
- クリエータ系学校行ってるのに創作してないのはダメ!
- 転職して好きな仕事に就いて、人生幸せになろう!
- エンジニアなのに好きな技術とか極めないの?
- 自分が好きな事をやることで、人生輝ける!
※バブル崩壊後、日本社会が頑張ってもこれ以上の大きな成長を望めない状況になりました。機械に代替できない部分で人間に対して働いてもらうには、ある種のお金以外の原動力が必要だったという背景はあります。そこに上手くハマったのが、夢という概念だったのでしょう。
もちろんごく一部が好きな事を仕事にしたりするでしょう。でもそうじゃ無い人に対して、あまりにもインターネット(YouTubeやTwitterなど※)や会社に居場所が無いのでは、と。
※インターネットサービスは創業段階で好きな事の延長で作ってたりするので、「好きを極めない人」に対しての潜在的な意識は低い気がします。
それって、完璧おとなブロイラーじゃん(見出しの伏線)。
そんなものねーよ!好きな事や物が無くても別にいいじゃないですか。
サカナクションのアイデンティティの良さみ
話は急に変わりますが、アイデンティティを聞いたのは友達とカラオケでした。
初めて聞いた時はサカナクションといえば新宝島(一時期ネットでBuzzってたからね)ぐらいしか知りませんでした。
歌詞の内容に引き込まれて、後でWebでインタビュー記事を調べまくりました。
要は多くの人が言う自分らしさや感じた物というのは、他人からの影響を自分に取り込んで出力しただけだ。という内容でした。作詞の山口さんすげぇ思想家なので、興味ある人は読んでみてください。
※自分の好きを極めた人(そして大成功した人)が、こういう発想で示唆を与えてくれるって、とても面白い。
好きな事を追いかけるのって「本当に自分が思っている事?」と考えてみて、「そうだ」という答えを出してみる。それって「YouTuberとかが言ってる事の受け入りでは?」と考えてみる。
また「そうじゃない」と答えを出してみる。そして「それってサカナクション山口さんの受け入り(=無意識な他人の考えからの享受)では?」と考えてる。
これを繰り返してみて、「そんなに私、クリエイティブな事は好きじゃ無い」という事に気がついたのです。
これまで私が生きてきた29年間を否定する言葉です。認めるのは辛かった。
創作全般について一から構想(ストーリ、描きたいものや人、世界観)を練り上げるのは苦痛だったし、自分から湧き上がるものも無い。頑張って作っても他人の空似以下の物しか形にならない。プログラミングも楽しい事もあるけど、総合的に苦痛な時が多かった(少なくとも平常時より情緒不安定になる)。
これが本当の気持ちで気づいた時に心が楽になったのです。ありがとう山口さん。
好き"だと思ってる事"はしなくても良いけど、好きな事はやろう
好きな事ってもうやっちゃってる事が多い、とも思います。私はネットワークやゲーム制作、3DCGモデリングを趣味でやっていますが、幸いその関連で色々な極めた仕事人とお話しする機会があります。
「なぜそこまで出来るんだ・・・?」という畏怖の念にかられます。どんなに劣悪な環境でも高品質なネットワークを維持し続けた人、24時間365日美少女の可愛い3Dモデルを作る人、最新技術を使い前代未踏の技術を作る人、日本でも超マイナーなプログラムをスラスラ書ける人など。
私の目からは、皆めちゃくちゃ楽しそうです。なお上記のある方に聞いてみると「好きじゃ無いけど、向いてるからやってるだけ」と言われました。言い換えると「辛くないけど、熱中できる事」なんじゃないか、と思います。
「好き」の意味は「心が惹かれる事」ですが、熱中できる段階で「心は惹かれてる」と捉えることができると思います。熱中している対象にずっと取り組んでいるわけですから。
私のうつ病のきっかけになった前職は「単純に辛い事、でも熱中できる事」でした。現職は「辛くないけど、熱中できる事」をやらさせてもらってます。
あと、上司や人事やSNS※の言う事を間に受けない方が良いと思います。「好きじゃ無い事を好きだと刷り込む事が得意な人」が多いので、元々好きじゃ無いのに好きだと思いこんでいる事が増えると思います。
※本人も他人をインフルエンスさせるのが好きな事が多いので、悪意が無いのです。完全にクリエイティブな人はそういう事もせず、作り続けてますから。
まずは身の周りの熱中出来る事に目を向けて欲しいです。旅行してみたい人は旅行に行きましょう(オミクロンちゃんに気をつけて)。絵描いてみたい人は描いてみましょう。何もやりたく無い人は今日は何もやらない日にしましょう。
なお私は寝たいので寝ますがね(爆)
私が好きな事
趣味と仕事の棚卸しをした時に、「誰かが困った時に、すぐにその助けたい」と思って行動している傾向がありました。少なくともクリエイティブな事よりは好きに近いと思います。
そう考えるとゲームジャムとか仕事でも、やりたい事が明確にあるのでなく補佐ポジションで関わり、完成度を高める事が満足度が高いです。
※もちろんこの考えが、やりがい搾取につながりやすい危険性も含んでるのは重々承知。
ネットで言われる成長することが好きな人は成長を目指せば良いと思うのです。でも他人に対して、成長しなきゃダメ、は違う気がしてならないのです。
謙虚になりましょう、自戒を込めてね。